プラハ

本日のプラハ半日観光はとにかく”歩き”ばかりだというので動きやすいTシャツにズボンと いういでたちで気合を入れて挑む事にした。
ガイドは若い日本人男性で随分長い事プラハに住んでいるらしい。こっちで売られている日本語の ガイドブックを参考にしてガイドの勉強をしているというからどうやらチェコの文化や歴史を 学びに来ているというわけではなく、音楽留学か何かで滞在していると思われる。 私たちが行った時はプラハ音楽祭の時期で大勢の音楽家達が来ていたが、その為ホテルがなかなか 取れず、同じホテルに連泊できなかったのだ。一泊しただけで荷物作りをしなければならない というのはまことにせわしない。
バスは、王宮の外に止まり、そこから歩きで王宮の中に入る。入り口には衛兵が立っているが、 この衛兵になる為には色々と厳しい審査にパスしなければならない。容姿端麗は必須条件で、身長も 175cm以上なければならないそうだ。
王宮に入るとまずゴシック調の聖堂が目に飛び込んでくる。これは昨日泊まったホテル・プラハからも 見えていた聖ヴイート教会で中の装飾やステンドグラスは見事という他ない。 この様なゴシック調の教会はヨーロッパを旅行しているとあちこちで目にするが、この教会の緻密な 装飾は群を抜いている。今更ながらキリスト教美術には目を見張るばかりだ。我が国の質素な寺と 比較してみて、その余りの豪華絢爛さに嘆息さえ漏れるが、ただそれも度を過ぎると感動を通り越して あきれてしまう。いくら信者の寄付で建てられたものとはいえ、それだけのお金を何故一般市民に寄付 しなかったのだろう。仮にも愛を説くはずのキリスト教信者が人への施しを忘れて教会の外観を飾り立 てる事ばかりに力を入れるのは人の道に外れているような気がしてならないのだが・・ これも権力者の力の誇示及び威信を保つ為等色々と思惑が働いたのだろう。しかし、この様な権力者が 遺産を残してくれたおかげで我々観光客が楽しめ、国が潤っているのだから何が幸いするかわからない。 気の毒なのは権力者に搾取されて来た昔の庶民ばかりなり。
王宮には昔狙撃兵が住んでいた黄金の小路という今は土産物屋になっているなかなか可愛らしい 通りがある。ここには、不老不死の薬、錬金術の研究をしている者達が住んでいたという伝説があるが、 狙撃兵よりかはロマンがある。ここで30分程の自由時間をもらったので写真を撮ったり土産物を 冷やかすが、安いとばかり思っていたチェコの物価であるが、少なくとも観光客相手の土産物には それは当てはまらない。下手すると西側と同じ位だ。ただ、アイスクリームは80円と安い。それでも 観光地でない所や地方で食べるとこれの半額位だろう。
慌ただしく移動するので残念ながら中世の住人達に想いを馳せている暇がない。

坂を下りてカレル橋へ。これは世界でも10指に入る程美しい橋だと言っても過言ではないだろう。 特にカレル橋から見た高台の王宮への眺めの美しさは最高である。 完成したのは500年以上も前の事であり、中世には市がたつなど市民と密着した場所だったが、その 一方で裁判や処刑も行われたりした。 今では、橋の上ではスケッチは土産物が売られ、大道芸人も大勢芸を披露している。ここで かつて多くの血が流されたとはとても思えない。ここでも20分程自由時間をもらうが写真撮影と 土産物を冷やかすに留まり。橋の欄干に並ぶ聖人像をゆっくり眺めている余裕などなかったのが残念。

橋を渡り、旧市街広場へ。途中細い路地を通るが、どこかベネチアを彷彿させる。路地の建物の中は 土産物屋ばかりだが、品揃えは豊富でとても旧共産圏だとは思えない。もっとも値段の方も西並みだが。 とにかく、プラハ音楽祭の期間中という事もあってその狭い路地は観光客で溢れ、肩と肩が擦れ合う程だ。 街の中心地、旧市街広場も同様で、おそらく団体が鉢合わせする時間帯という事もあるのだろうが、 どこを見ても芋の子を洗うような人波である。 その中で一際人が集まっている場所があり、一体何が始まるのかと思って見ていたら旧市庁舎に からくり時計があり、1時間毎に12使徒が登場し、雄鳥が鳴くというショーが見られるのだ。 ただ、この手のものはかつてドイツで嫌というほど見てきたし、日本にも最近増えているので さほど驚かない。 この時計は15世紀の時計職人ミクラーシュの手によるものだが、完成後、この傑作が他の街でも 作られない様、プラハの権力者達はミクラーシュの目を潰してしまったというとんでもない伝説が 残っている。何とも酷い話ではある。

この旧市街にあるボヘミア・グラスの店に連れて行かれ、昼食の時間に再びここで集合する事に。 ボヘミア・グラスは、ベネチアン・グラス程心引かれないので取りあえずこの店ではザッと見るだけ にして、他の店を冷やかしたりして過ごした。ボヘミア・グラスは日本と比べると安いのだろうが、 やはり私には手の出ない値段だ。元来、高級グラスというものは家を選ぶものである。
我が家の様なウサギ小屋には到底似合わないし、地震が恐いので結局頑丈に梱包したまま棚の中に 仕舞い込むのが関の山だ。最初から使わない、飾らないとわかっているものは買わない方が無難である。 40分ほどの自由時間だが、ここは、ボヘミア・グラスだけでなく、他にも色々店があってウィンドウ・ ショッピングが楽しめるのがありがたい。ハワイの時など面白くも何ともないただでかいだけの 土産物屋に連れて行かれ、回りには何もないのでそこで40分も時間を潰さなければならなかった時 の苦痛を思うと今回のツァーはハードだが比較的良心的だ。

昼食は例によってスープ → サラダ → メイン → デザートであるが、相変わらず時間がかかって 勿体無い。昼食時間をカットできたら、アール・ヌーヴォー様式のプラハ市民会館が見れたのにと 思うと非常に心残りではある。昼食後2時位から自由時間。今日の午後には次の目的地に発つ為、 5時に集合しなければならない。たった3時間で一体何ができるというのか。 取りあえず、市庁舎横の教会の塔に登ってプラハの街を見る事にした。
入場料は300円弱だったが、これでもプラハ市民から見れば高額なのだろう。もっとも外部の観光客しか 登らないだろうが。塔の上からのプラハ市街の眺めは最高だった。赤い屋根が連なり、さしずめ 東のフィレンツェといった所だろうか。遠くには王宮と教会が見える。ロンドンやパリももちろん 古い街だが、どちらかと言えば人工的な趣が強い。しかし、このプラハは、開発する余裕もその気も なかったのだろうが、まるで時から忘れ去られた様な雰囲気がある。そのまま何の手も入れずに 歴史映画の撮影に使える程だが、実際ここは「アマデウス」の撮影に使われた。何百年も前の中世 からそこにたたずみ、何一つ変わっていないと思われる建造物はプラハの歴史をつぶさに見て きたのだろう。そこには数々の血塗られた権力抗争もあり、自由への飽くなき闘争もあった。 下に見えている旧市庁舎広場と目抜き通りのヴァーツラフ広場には89年のビロード革命のおりには 数万人の市民で埋め尽くされたそうだ。その様子が「コーリャ/愛のプラハ」にも描かれている。

その後、ユダヤ人ゲットー跡へ。
プラハには10世紀頃からユダヤ人商人が定住、第一回十字軍に際して最初の大規模な略奪・迫害が 行われたが、その後ユダヤ人「保護」のため居住区が壁で囲まれた。 ハプスブルク皇帝の中でもマクシミリアンII世とルドルフII世はユダヤ人に寛容で、1781年、 ヨーゼフII世の寛容令によって身の安全が保証されると「保護壁」も撤去され、1848年の革命で 完全な市民権が認められるとともに、行政区としてプラハ市に編入され、ヨーゼフII世への感謝を 込めてヨーゼホフと名付けられた。
ヒトラーは、ヨーロッパの全ユダヤ人を殺害した後、ヨーゼホフに「絶滅人種記念館」として大規模な ユダヤ博物館を設立する予定だったらしい。何て酷い話だろう。ナチス占領下のボヘミア、モラヴィア 各地からユダヤの美術品を集めたらしいが、これらの美術品が、現在ヨーゼホフのシナゴーグなどに 展示されている。
ここには数々のシナゴークがあり、今でも礼拝に使われている。世界各地からユダヤ人やユダヤに興味の ある人が見学に訪れている。
その近くにはユダヤ人墓地がある。15世紀初頭から1787年まで、狭い敷地内に20万人以上が埋葬された と推定され、現存する最古のユダヤ人墓地のひとつである。墓石は12000位だが、遺体は推定十万と言われる。 旧ユダヤ人街は小さいので歩きでも充分に見て回れる。ここら辺は車の通りも少なく悠々と 歩けるのがありがたい。プラハの信号は恐ろしく早く変わってしまい。青になったと同時に小走りで 渡らなければならない。渡り終わる頃には信号が点滅しているという具合だ。お年寄りや足の悪い人は どうしているのだろうかと疑問に思ってしまう。

この後、再び旧市庁舎広場に向かい、屋台などを冷やかす。
私は、チェコ名物のマリオネットを購入。結構凝った人形でこれで1400円は安い方だが、これでも 観光客向け値段なのだろう。もう少し値切れば良かったかな。母はTシャツを購入。 ここは別に何も買わなくても見ているだけで楽しい。

午後5時集合。ここからバス乗り場まで歩かなくてはならないが運悪く夕立ちが降ってきて小走りで バス乗り場に向かう。バスの待機所に行くと狭い道路に多くの観光バスが止まっている。 いずれは大きな駐車場も作らなくてはならないだろう。
バスはほぼノンストップでチェコ国境近くの街に向かう。ここはドイツ読みでバドワイザーといい、 アメリカ人がビール会社を設立した時にこの名を使い、使用権で裁判沙汰にもなったらしい。 ホテルはHOTEL GOMEL。外観は立派で施設も整っているのだが、所詮旧体制時代に 建てられたものなのでエレベーターはガタガタ。部屋は狭く、窓も全開しないし、バスタブには 栓もついていないという有り様で笑えてしまった。いちいち添乗員さんやフロントに言うのも面倒 くさいのでシャワーだけ浴びる事に。
何でも楽しんでしまおうというポリシーを持っている私は、旧東欧に来たという実感が味わえて かえって得した気分になった。年配の人達も「こんなのホテル・ゴメルじゃなくてホテル・ゴメンネ」 だと文句を言っていたが、その物言いは本気に怒っているといった感じはしなくてどこか親しみがこもって いた。

こちらのプラハの写真もご覧ください