聖地アッシジ


アッシジの駅を降りると彼方のスバズィオ山の斜面に城塞に囲まれた街が目に入ってくる。古代からイタリアは城塞としての役割も兼ねて丘の上に街を作った。 不便な位置にあるため、開発から取り残されたが、それが幸いして昔日の面影を今に留め、詩情豊かな雰囲気を醸し出してている。時が止まったような小さな町々はただでさえどこか浮世離れした印象を与えるものだが、このアッシジは聖フランチェスコゆかりの聖地という先入観も手伝って、神聖な気持ちと同時にどこか懐かしささえ湧き上がってくるのも抑えられない。また、異教徒を寄せ付けぬ排他性はなく、また三大宗教のの聖地エルサレムのような宗教的緊張感も感じさせない。薔薇色のレンガで統一された街は中世独特の暗さはなくどこか包み込むように温かさを感じさせる。
駅からアッシジ旧市街まではバスでほぼ10分。バスは広場に到着するが、門をくぐってしばらくまっすぐ歩くと街の中心地コムーネ広場に出る。この街の歴史は古く、古代エトルリア人が築いたと言われているが、ローマが引き継ぎ、発展していった。ここにはローマ時代の遺構ミネルヴァ神殿が目に付く。 アッシジイタリアの数ある街の中でも最も古い歴史を持つ町の一つであるが、この街を世界的に知らしめているのは聖フランチェスコの存在に他ならない。もし、この街が聖フランチェスコを送り出さなければ、どれだけ歴史的価値のある美しい街であろうとウンブリア地方の古都の一つとして認識されるにとどまっていただろう。
私が生まれて初めて、アッシジの街に足を踏み入れた時、そのあまりの美しさに息を飲んだ。そこはまさに別世界だった。タイム・トンネルをくぐり抜けてきたように一気に中世の時代に引き戻されてしまう。路地裏などを散策していると今にもフランチェスコとその仲間が托鉢をしに現れそうだ。
イギリスの村をご存知の方なら、ラコックやブロードウェイといった小さな村々を思い浮かべて欲しい。季節の花々に囲まれた石積みの小さな家々が並ぶこれらの村をもっと大きくしたのがアッシジだと思っていただければいいだろう。地上の楽園とはこのような街の事を言うのではないだろうか。 扉や窓を取り替えて、屋根の上の邪魔なアンテナなど現代的なものを取り去ればそのまま中世の映画を撮影することができるというのが驚愕ものである。ここは時を凍結させているのだ。

私をこの街に惹きつけたきっかけは、中学の頃に近所の教会の映画上映会で観た『ブラザー・サン・シスター・ムーン』(1972)だった。当時の私はキリスト教信者でもなければ、キリスト教そのものにも無知だったが、ただ単に映画が無料で見れるからという単純な動機で見に行ったのだが、映画に描かれている歴史的背景やフランチェスコという聖人について何も知らなかった当時でも、画面中のイタリアの田舎の美しい自然、ドノバンの音楽、フランチェスコの純粋性に打たれ、涙が止まらなかったのを覚えている。

これほど観光客や巡礼者が来ているのに不思議と観光ズレした雰囲気はなく、人々はシャイで温かい。 街は清潔で若者向けの軽薄な店など一軒もなく、夜のとばりが降りると聖なる静寂が優しく街を包み込み、信仰心の乏しい私でも敬虔な気持ちにならずにはいられなかったほどである。
この街に来て、なぜ金持ちの放蕩息子フランチェスコの中にあのような180度の気持ちの変化が生じたのか、その魂を少しでも理解できることができればと思ったのだが、アッシジの優しい大自然に包まれながらフランチェスコのゆかりの史跡を辿るうちに俗人の私でも、少しは彼の魂を知ることができたような気がしてきた。


アッシジの街角。静寂のみが支配する。


コムーネ広場。街の中心地。


サンフランチェスコ大聖堂



とにかく、石、石、石の連なる街。

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