
私は、89年の秋、3ヵ月にわたって中近東を回りました。
今まで様々な地域を訪れましたが、この旅行が最も印象に残っています。
10年以上前のことで、記憶が曖昧ですが、幸い日記をつけていたのでそれを参考に、
できる限り当時の感動や驚きをありのままに伝えたいと思います。
どうぞ、最後までおつきあいください。
私が中近東旅行に出発したのは1989年9月の事。前年にイギリスでホームステイ
していた時に知合った友達と一緒に行くことになった。ほんとは中国に行く予定だっ
たのだが、この年、例の天安門事件が起こったのでとても行く気になれず、急遽中近
東に変更したのである。
選んだ航空会社は(ロストバゲッジが多い、遅れる、食事がなかなか来ないと3拍子
揃ったことで)悪名高いパキスタン航空。確かにおしぼりや飲み物のサービスもなく、
いたれりつくせりのシンガポール航空と比べるとサービスの面で劣ることは否めない。
しかし、東京からトランジット先のパキスタンまでは空席が多く、私たちは一人で3人
分の席を占領たりして優雅に過ごした。
「う〜ん パキスタン航空ってなかなか快適じゃん」とかのんきなことを言いながら。
やがて、旅客機はトランジット先パキスタンのイスラマバード着。
これがとても国際空港とは思えないほど粗末な空港でベルトコンベアーなどガタガタ。
トイレも一応水洗なのだが、横にかめが置いてあってそれに水を入れて流すいわゆる
アラブ式トイレ。最初のカルチャーショックであった。
とりあえずホテルに行くためタクシーを拾おうとすると何人ものタクシのー客引きに取
り囲まれてあっという間にタクシーに乗せられてしまった。もっとしっかり値段交渉し
たかったのだが、夜中のこともあり、結局押し切られてしまったのである。50ルピー
(約350円)だったが、実際は15ルピーが相場らしい。空港に着いたばかりで右も
左も現地の相場もわからない観光客がこうやっていいカモになるんだなあ。こうして私
たちは無事ホテルにたどり着いたわけだが、前途には様々な難関が待ち構えているので
あった。
翌日、ホテルで朝食を摂った後、タクシーに乗って観光案内所へ。ここでタキシラ行き
のバスの乗り場を聞いたのだが、とにかくこの街の喧騒に圧倒されたのと、車や牛
(!)があちこちから出没したりして、バス乗り場にたどり着くまでが一苦労だった。
とにかく牛が堂々と道路を歩いている。ヒンズー教では牛は聖なる生き物とされている
が、ここパキスタンはイスラム教。もとインド領だったことの名残か。
バスは10人乗り位でほとんどリムジンバスのような感じ。その小さなバスが猛スピー
ドで道路を走り出したのは少々驚きだった。
タキシラに着いたのはバスが出発して30分後。とりあえずMuseumに行くことに
決め、その方向に向かって歩きだしたのだが行けども行けどもたどり着かない。その上、
イスラマバード程ではないにしても馬車や車が引っきりなしに走っているのでいつ轢か
れるかと思うと気が気ではない。ここは無難に馬車に運んでもらおうと馬車と捕まえる
ことにした。
Museumに着くと別の馬車とガイドのお兄さんが待ち構えていて、行きたい所に
40ルピーで連れてってくれるという。このガイドのお兄さんはハンサムで物腰もヨー
ロッパ的だったので思わずOK。この人の英語はとても流暢で、どこで英語を習ったか
と聞くとロンドンだと言う。その時に知合った日本人女性と文通をしているらしくその
手紙を見せてくれた。
まず、JandailというBC2世紀頃のギリシア式の神殿に行った。
ここでしつこいみやげ売りに会う。そのしつこいさといったら食いついたら雷が鳴るま
で離れないスッポンに匹敵する。本物の遺跡のかけらだというが、うそくさい。
最初は本物だったかも知れないが、こうやって土産として売っているうちにとうに取り
尽くしてしまい、今では偽物がほとんどと思って間違いないだろう。とにかくこういう
土産売りに会ったらハッキリ要らないと意思表示をする事。でないといつまでもつきま
とわれるハメになる。我々が中近東旅行で疲れた要因の一つにこのしつこい土産攻勢が
ある。この人たちの相手をしているだけでどれだけ体力を消耗したことか。
ここを一通り観光して、さあ次はどうしようかと思案しているとガイドのお兄さんはこ
れからピール・マウンドとダルマラージカに行きたければ、さらに40ルピー出せば連
れていってくれると言うが一応断る。
お兄さんはそれ以上何も言わずそのまま帰ったが、馬車のおじさんは食いついて離れず、
30ルピーでどうだという話を持ち出す。ガイドのお兄さんは普段団体観光客のガイド
などもやっていて片手間に私たちの様な個人旅行者のガイドをやっているわけだけど、
馬車のおじさんは客一人なんぼの商売である。おじさんを助けるつもりで結局OKして
しまった。
この時正午にさしかかっていたので取り敢えず、昼食を摂ることにした。しかし、観光
地だというのにレストランらしきものが見当らない。おじさんに聞くと、近くにユース
・ホステルがあるというのでそこで食事をすることにする。しかし、めったに人が来な
いユース・ホステルには食事は置いてないらしくユース・ホステルのおじさんがどこか
らかナンと紅茶を調達してくれた。その好意に思わず感謝。
アラブ風の平べったいパンをカレーに浸して食べるのだが、馬車のおじさんがこっちが
勧めてもいないのに勝手にご相伴にあずかろうとするのにはあっけにとられてしまった。
このおじさんは後で私たちのお金でしっかりコーラも飲むのである。日本でもガイドさ
んや運転手さんにおごったりすることはよくあるらしいが、それはお客からすすめられ
て初めてご馳走になるという段階を踏んでいる。しかしここではそういう感覚はない。
イスラム教では持ってる者からは貰ってもいいという考えがしみついているのである。
昼食後、馬車でダルマラージカへ。ここはタキシラの遺跡の中で最も古い仏教遺跡で
巨大なストゥーパ(墓)が目前に広がる。
入り口辺りで観光客向けの立て札を見ているとどこからともなくおじさんが現われて、
入場料を請求し、ガイドを引き受けるという。ほんとは二人だけで勝手気ままに回りた
かったのだが、せっかくの好意なので従うことにした。まず、ストゥーパに登ってみた
が、ここからの眺めはなかなかのものだった。ほんとはここで5分ほどボーッとしてい
たかったのだが、おじさんがせかすのでしかたなく降りる。
あと適当に遺跡の見所などに案内してくれたが、このおじさんはやたらベタベタして
はっきり言ってスケベ。とにかく早くここから離れたかった。
ダルマラージカの観光が終わって引き返すとき、川の辺りに現地の子供が7、8人遊ん
でいて、通りかかるととたんに寄ってきた。一緒に写真を撮ったが、最初少人数だった
のがあとからあとからゾロゾロ出てきて取り囲まれてしまった。ここの子供はほんと人
なつっこい。それに女の子も男の子もとても整ったきれいな顔をしている。
大きくなったらさぞ美男美女になるだろう。
それにしてもタキシラの人たちは、物見高く、日本人が珍しいのかどこへ行っても見ら
れるし声をかけてくる。馬車のおじさんがたずなを引かせてくれた時もたいそう受けて、
自転車に乗っている人までが振り向いて手を振ってくる始末。観光客の私たちの方が現
地の人に見られていてまるで動物園のクマの気分だった。
翌朝、ルームサービスの朝食を頼んだが、AM8:00になっても持って来ないので
痺れを切らして廊下にいたボーイさんに聞いてみると「NO PROBLEM」と一言。
しかし結局食事が来たのはAM9:00を回った頃だった。おまけにオーダーしたもの
と違っていた。う〜ん、なんてアバウト。
朝食後、ホテルを出て、リコンファームのためPIA事務所に向かう。
今度はホテルにタクシーを頼まず直接交渉。空港からホテルまでの距離とほぼ同じ位の
距離を走ってなんと約20ルピー。半額以下だ。
このタクシーの料金はほんとまちまちで、次に乗った時はやや短距離だったが10ルピー。
その次は5ルピーだった。値切ろうと思ったらいくらでも値切れるのではないだろ
うか。タクシーの運転手にしたら誰も乗せずにウロウロするより、安くても人を運んだ
方がましというものなのだろう。
最初空港でふっかけられた時は時間も遅かったし、右も左もわからない上大きな荷物を
持っていたので足元を見られたのだろう。
PIAでリコンファームを済ませ、ラジャバザールに向かう。ここは街で最も有名なバ
ザール。
私は最初に入った店でパキスタンの民族衣装を買う。この店の主人は英語もできるし、
お茶も出してくれたし、そんなにしつこくなくて良かった。しかし、友人が服を買った
2件先の店は、何も買う予定のない私にまで、ケープや靴などしきりといろんな物を勧
めるのには閉口してしまった。
あとバザールをウロウロして昼食を摂り、PM3:00位にホテルに戻ってくる。
入浴後、PIAから電話がかかり、飛行機の出発時間がPM11:00からAM5:00
に変更になったので仕方なくもう一泊するハメになってしまった。